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川上力三展 KAWAKAMI
RIKIZO exhibition |
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アルゼンチン近代美術館 蔵 |
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通度門をくぐった川上力三さん ー「火の器」「水の器」展を拝見して 藤 慶之 (美術ジャーナリスト) |
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Mr.KAWAKAMI Rikizo Passed Through The Gate,'Tsudo-mon' | |
--On his exhibition ‘vessel of fire ’and ‘vessel of water’-- |
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あれは、たしか1974年の秋だったと記憶している。当時、前衛陶芸集団「走泥社」(1998年解散)の主要メンバーの一人として異才 ぶりを発揮していた川上力三さんが突然やってきて「これから韓国へ行ってくるんだけれど、治安の状態はどうだろうか?」と切り出した。 聞けば、首都ソウル市内にある前衛作家たちの中心的発表の場「明東画廊」で個展を開くため、愛車に自作の陶彫群を満載して単身訪韓す るのだという。数カ月前、作家仲間に加わって約一カ月、戒厳令下の韓国各地を苦労しながら走りまわってきた矢先だっただけに、同年齢 の陶芸家の決意に頭の下がる思いがしたものだ。 1970年前後の川上さんといえば、大きな球体の割れ目から極小の球体がこぼれ落ちて徐々に大きな球体へと変貌していく不気味な床上 配列の作品群や、石膏型取りした牛乳紙パック・コーラビン・空きカンなどが徐々に壊れていく陶彫群に、大量消費文化風刺の想いを託し ていた時代。ソウルでの個展会場には、これらの近作にまじってドイツ・ナチスの鉄カブト10数個がこれも徐々にくずれていく陶彫群を並 べたため、不審な眼で見られたこともあったという。 韓国個展を終えたあとの川上陶彫には、明らかに変化が生じた。それまで美術館の床面いっぱいに大小さまざまな陶彫群を配列して世 相風刺を試みてきたが、1980年前後から単体の「椅子」(座)シリーズが登場。雌雄対称のイスや座れないイスなど、ここでも椅子(座)と いう階級制度の象徴を通して反権力、反体制の姿勢が貫かれていた。 その後の作風展開にも注目した。1990年前後になると、廃墟の壁に孤独な椅子が置かれた「壁」シリーズ、その延長線上に生まれた「段」 シリーズが登場。今にも壊れそうな廃墟か古城跡を思わす構造体に、遠近法的な階段がからみつき上方へ消失していく…といった景観彫刻 を、得意の手びねり造形で組み立てた陶彫だ。地位や名誉を求めて世俗の階段をよじ登っていく人間宿業に対する、悲しいほどの無言の警 鐘が、ここでも伝わってくるようだ。 最近の仕事に「門」シリーズがお目見えする。「壁」や「段」シリー^ズの単体を組み合わせて、神社の鳥居風に構築した大がかりな構造体 だ。ややもすれば意識が勝ち過ぎて大らかさが薄らぎがちだった従来の作風に比べると、明らかにスケールの大きいのびやかな構造体へと 変貌し始めている。それにしても、なぜまた「門」なのか。胸の内をたずねてみると、初個展いらい幾度も訪れることになる韓国の釜山に、 通度寺という山中の仏教寺院があった。修行僧たちは、俗世を捨てて信仰の道に入る第一歩として、厳粛な思いで寺の門をくぐらなければ ならない。つまり、現世と来世をつなぐのが「通度門」なのだ。「ボクが追い求めてきた座も壁も段も、所詮は内面的な門の追求。祈りの 気持ちで通度の門をくぐり、心に区切りをつけて制作に当たり、生きていきたい」と近境を語る。その決意のあらわれか、洛西・西芳寺 (苔寺)近くの自宅玄関先には「通度軒」なる表札が掛かっていた。 その川上さんが、珍しく「器」の展覧会を開くというのでオープン前日の夕方、会場を訪れた。「器」展といっても、花瓶や茶碗を 並べた日常雑器の発表ではなく、日本人が古くから生活用具としてきた「火の器」「水の器」を、独自の陶彫造形によって現代によみ がえらせようという試み。ユニークな画廊空間には、すでに新作の「器」類が配置ずみだった。 さほど広くもない吹き抜けの坪庭。暮れなずむ薄闇の中に、ほのかな灯りが見える。目をこらすと、一部が壊れかけたような角柱状 や丸味を帯びた龕状の陶彫からもれてくる灯りだ。肝心のロウソクや灯芯は陰に隠れて見えないのだが、内部に施された金、銀(プラ チナ)、銅の上絵効果によって反射する間接照明となっているのだ。 中には、角柱に円窓を設け、遮へいした半円窓に無数の穴をあけて灯りを取る、という楽しい仕掛けも…。こうした「火の器」にまじっ て登場する「水の器」が、また楽しい。これまた、同じように黒ずんだ平べったい直方形の中央に、片口状のへこみを入れた陶彫。水 を張れば、洒落たつくばいにもなるし、一輪の落椿を浮かべれば立派な水盤にも使えそうだ。雨の日など、片口状のへこみ口から水が あふれる風情も、また格別だろう。 今ひとつ、畳敷きの画廊奥の間に並ぶ香具類。香炉や香合、線香立てなど、前衛陶芸家たちにとっては“御法度”視されがちだった 道具類に、あえて挑戦している。それも従来の「茶道具」の臭味は少しもない。極力色彩を押さえた幾何学抽象的な色面構成模様の妙 もさることながら、肝心の形体が楽しい。聞けば、無心に土をこねている最中に突然生じる快い形から試作をつくり、それをもとに手 びねり成形した成果だという。無作為の作為が生み出した、すがすがしい「現代の茶道具」とは言えまいか。この心境に到達するまで には、やはり60余年の年輪が必要だったのか。病と闘いながら、持ち前の自制力で新境地の作陶を成しとげた川上さん。「通度門」を くぐり、いよいよ自在奔放な世界へ突入されんことを期待したい。 |
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Mr.KAWAKAMI Rikizo Passed Through The Gate,'Tsudo-mon' | |
--On his exhibition ‘vessel of fire ’and ‘vessel of water’-- |
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by FUJI Yoshiyuki (art critic ) |
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It was probably in the fall of 1974, I
remember. Mr. Kawakami suddenly came to me and said, "I'm going to visit Korea, and could you tell me how the social order in that country is?" At that time I knew him as a brilliant artist and one of the leading members of 'Sodei-sha', a group of avant-garde ceramic artists (dissolved in 1998). He was going to visit Korea alone with his ceramic sculptures in his car to give an exhibition of his
works at Myong-Dong Gallery in Seoul. |
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translated by TSUMA Michiko |
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